たこやきの思い出

2017年10月29日

僕は四国出身で現在関西に住んでいるのですが、

初めて関西に出てきて、知り合いも増えてきた時、懇親の意味も含めて言われたのが

 

 

『タコパしよーか!』

 

 

 

??

 

 

 

最初言ってる意味が分からなかったのですが、要するに自宅でたこ焼きパーティをしようということ。

 

 

 

 

四国人の僕にとって聞きなれない言葉でしたが、関西ではポピュラーで一家に一台たこ焼き機があるそうです。

 

 

そしてこの『タコパ』体験してみて中々良い!最初のほうは具にタコを入れるのですが、後からタコが少なくなってくると、それぞれ思い思いの具を投入!

 

 

『キムチ』『チーズ』『ちくわ』『ウィンナー』等々

 

 

しまいには『わさび』を入れてロシアンルーレット…

 

 

初めて知り合った人達とする『タコパ』は距離も近くなるし素晴らしい文化だなぁとその当時思いましたね。

 

 

それから10年以上経つのですが我が家にも当然たこ焼き機が一台あります。あの当時のように友人で集まって『タコパ』をするのは少なくなりましたが、今は家族で『タコパ』をして楽しんでおります。

 

 

 

そんな『たこ焼き』はいつから生まれて関西のソウルフードになったんだろう?

そう思い調べてみました。

 

 

まず『粉もの』の始まりが千利休の茶会の席などで出された「麩の焼(ふのやき)」と言われてて、その後江戸から明治にかけて東京名物『もんじゃ焼き』が誕生。

 

 

 

同じ時期くらいにたこ焼きの前身といわれる兵庫県名物『明石焼き』が生まれました。

明石焼きは、卵とダシと小麦粉とでんぷん粉を混ぜた生地に、タコを入れて丸く焼いたもので、とろけるような食感が特徴。たこ焼きとは違いソースではなくダシ汁にひたして食べます。

 

 

その後大正時代になると『ちょぼ焼き』という水で溶いた小麦粉を半円にくぼんだ銅板に流し、こんにゃく、紅ショウガ、えんどう豆など入れて焼く、たこ焼き始祖と言われる料理が生まれます。

 

 

その後『ラヂオ焼き』という派生料理が生まれました。(ダシ汁とスジ肉が加わったもの)

 

 

そして昭和初期に大阪西成にある『会津屋』で明石焼きからヒントを得て、ラヂオ焼きの中にスジ肉ではなくタコを入れて発売したのが『たこ焼き』のはじまりと言われています。

 

 

その後昭和中期にはソースを塗る文化が生まれ、現在に至るということです。

 

 

なかなか歴史を調べてみると面白いですね…『たこ焼き』がなかったら何人か友人がいなかったなと思うと感慨深い…

 

 

久しぶりに友人集めて『タコパ』しよーかなぁ

 

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